儀助平洞穴(鹿島市古枝)からは、縄文時代前期のものとされる条痕文や押型文などの土器が出土していて、多良岳山麓の一部にはすでに数千年前から人々が居住していたことがわかっています。
弥生時代には鹿島川・中川・浜川や七浦海岸等の扇状地帯に遺物の分布が見られ、弥生人は有明海の魚介類をとって生活していた漁労民ではなかったかと考えられています。
鹿島の地名が始めて史書に登場したのは、「延喜式」(927年)という書物で「肥前国 鹿嶋馬牧」とあり、当時の駅舎の役割をになっていたと考えられています。また、現鹿島市の大部分は「肥前風土記」にある藤津郡の「能見郷」に属していたと思われます。
中世以降は、古枝に本拠を置く大村氏がこの地に勢力を振るっていましたが、戦国時代になると有馬氏の勢力圏となりました。
近世になると、竜造寺氏の支配を経て、鍋島氏に政権が移ることになりました。鹿島支藩は今からおよそ400年前の1609年に初代藩主鍋島忠茂が藤津郡内に知行を許されたことから始まり、以後13代にわたり鹿島の地を治めてきました。明治時代以降は中央政府の下部組織としての地方自治が始まり、郡制・町村制により、めまぐるしい統廃合を重ねてきました。
近代になると「町村合併促進法」(S28.10.1施行)により、昭和29年4月1日に当時の鹿島町・能古見村・古枝村・浜町・鹿島村の5つの町村が合併し鹿島市制がスタートしました。翌30年3月1日に当時の七浦村(伊福を除く)が合併し、現在の鹿島市のかたちができあがりました。
(市制50周年記念 鹿島市市勢要覧から転載)