浜地区や古枝の大村方区には、全国的に貴重な歴史的町並みが残っていますが、この貴重な町並みは次第に壊れたり無くなったりしており、個人の力だけでは維持できないところまできています。市では、この大事な歴史遺産を子どもや孫の時代まで保存するとともに、市のイメージづくりや観光資源に活用して、市及び肥前浜宿を振興する計画を立てています。まちづくりにおいて、伝統的建造物群の保存・活用に向け、文化庁や国土交通省等の補助事業を取り入れ、地元NPOを中心とする住民の皆さんと一緒に、ハード・ソフト両面にわたる話し合いを通年で行っています。ぜひご参加ください。
肥前浜宿の町並みは貴重な歴史遺産といわれていますが、どんな町並みでしょうか。肥前浜宿は中世(鎌倉・室町時代)にさかのぼる古い歴史を持った町で、港町・宿場町として近世(江戸時代)から近代(明治・大正・昭和)を通じて栄えてきました。経済力と豊かな地下水、おいしいお米によって酒造りが盛んとなり、現在でも大型酒蔵が建ち並んでいます。これらの歴史の中で、肥前浜宿には多くの白壁土蔵や茅葺町家などの伝統的な建物が残り、往事にタイムスリップした景観・イメージをつくっています。浜川をはさんで北側の大村方・八宿・中町のいわゆる『酒蔵通り』には白壁土蔵造りの町家や蔵があり、南側の庄金や舟津には茅葺町家がありと、地区によって景観が大きく変化することも町並みの特徴となっています。しかし戦後は、酒造りや店をやめたり、河川改修で移転を余儀なくされたりと、歴史的な建物や町並みの景観が失われつつあります。
平成18年4月21日、肥前浜宿内の2地区が、国(文化庁)の「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)」として同時選定を受け、全国に誇れる鹿島市の貴重な歴史遺産として認定されました。この地区は長崎街道多良住還の宿場町で、有明海に臨む港町として酒造業や水産加工業の栄えたところでもあります。有明海の河港に茅葺と瓦葺の町家が混在する職人町として栄えた【港町・在郷町】と、通称「酒蔵通り」で知られる宿場町と酒造業により発展した白壁土蔵の酒蔵が多く残る【醸造町】は、他の重伝建地区に例の無い町並みとして国に評価された独特の風情を体感できます。
鹿島市浜庄津町浜金屋町伝統的建造物群保存地区
〜潮風そよぐ茅葺の町並み〜
近世に鹿島藩の【港町】として、商人や船乗り、鍛冶屋等が住み発展したところです。海道と小路が町のフレームを形成し、道沿いや敷地背後に水路が走っています。河港の【在郷町】としての地割を良く残し、茅葺や桟瓦葺の町家が建ち並ぶ、特色ある歴史的風致を今日によく伝えています。
鹿島市浜中町八本木宿伝統的建造物群保存地区
〜芳醇の酒造り 居蔵造町家と大型酒蔵の海道〜
近世の宿場町から酒造など醸造業を中心に発展し、街路と水路を骨格とする町並みです。防火構造の居蔵造町家、土蔵造大型酒蔵、桟瓦葺真壁造町家、茅葺町家、武家住宅、洋風建築等、質の高い建築が豊かな町並みを創出し、変化ある独特の風情を醸し出しています。
詳しくは肥前浜宿まちなみ案内図(PDF1,218KB)をご覧ください。
名称をクリックすると別ウインドウで写真を表示します。
継場(つぎば)
肥前浜宿の観光案内、休憩所となります。肥前浜宿をボランティアガイドがご案内します。ご希望の方は、お問い合わせください。(要予約)
NPO法人 肥前浜宿水とまちなみの会 電話0954−69−8004
旧魚市場
この魚市場では、昭和39年まで鹿島市全体の魚を取り扱っていました。このため、この前の通りは毎朝、新鮮な魚介類を求める人々でたいへんな賑いを見せていました。
若宮神社(わかみやじんじゃ)
慶長12年、スペインのドミニコ会が肥前で最初の教会を建てており、場所はここ一帯にあったと推定されています。3人のスペイン人宣教師は、キリシタン弾圧までの数年間、この協会を本部にして九州一円で布教活動を行っていました。
泰智寺(たいちじ)
慶長14(1609)年に、鍋島忠茂が鹿島藩を創設したのに併せて鹿島鍋島家の菩提寺として北鹿島・常広村から移されました。初代藩主の遺骨と第三代藩主以降の遺髪が埋葬されています。
大村方酒蔵と水路
地名から、大村氏の居館と大村氏と関わりのある松岡神社の神宮寺があったと思われ、周囲には武家屋敷も残っています。往還から見えるところには、大正期の煉瓦造麹室巨大な酒蔵が水路に沿って建っています。
中町・八宿の町並み(酒蔵通り)
浜宿の面影を最も残す通りです。酒造業が盛んになったのは、元禄年間と言われ、天保9年にはすでに9軒の酒屋の記録があります。現在も醸造中は、数軒を残すだけですが、残った白壁土蔵が往事を偲ばせます。
庄金の町並み
庄金は、江戸時代の庄津町と金屋町の頭文字を採った名前です。庄津は船頭などが住む港町、金屋は鍛冶屋などが住む職人町でした。このことから庄金地区は、河港と旧街道の交わる交通拠点として繁栄し、にぎわいを見せていました。
浜大鳥居(赤鳥居)
祐徳稲荷神社の参道のシンボル(高さ18m)として、昭和8年に造られました。昭和40年代までは、ほとんどの参拝客がこの鳥居を通って祐徳詣でをしたものです。老朽化のため平成19年9月に取り壊されました。
臥竜ケ岡公園(事比羅神社)
「城の上の金毘羅さん」と呼ばれ、元は香川・琴平町の琴平大権現を歓請し、舟津地区の船乗りが厚く信仰していました。当時は、神社石段の下から直接参拝できるよう、有明海につながる浜川ほとりに船着場が造られていました。
旧乗田家
鹿島鍋島藩に仕えた旧武士である最所家の住まいで、19世紀初期に建てられ建物の改造も少なく、宿場町に残る数少ない武家屋敷です。
屋根は茅葺で、その形状は佐賀県に多く見られる「クド造り」ですが、一般的な「コ」の字ではなく一部が張り出たカタカナの「ユ」の字型をしています。
建物は質実で武士らしい空間が見られる一方で、畑や比較的広い土間があり養蚕を行なった事も推定されます。これは兵農未分離が特徴であった在郷武士の生活を伝えています。
夷(恵比寿)三郎の祠
この恵比寿は佐賀県でも最も古いものの一つで貞享4年(1687)に伝えられています。
当時は文字だけのものが多く、この恵比寿の祠も「夷三郎」と彫ってあります。