11月30日(日)染色家鈴田滋人さんの重要無形文化財保持者(人間国宝)認定祝賀会が市内で開催されました。これは、認定の喜びを多くの方々と分かち合おうと市が主催したもので、知事をはじめ市内外の関係者ら約170人が出席し、鈴田さんを祝福しました。
祝賀会では、鈴田滋人さんや重要無形文化財『木版摺更紗』を復興した父照次さん(故人)の製作風景などを記録したビデオ上映のほか、功績をたたえて鹿島市特別表彰授与式がありました。
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| 式典のもよう | ビデオ上映のもよう | |
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| 主催者挨拶(鹿島市長) | 来賓の祝辞(県知事ほか) | |
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| 市特別表彰授与式 | 御礼を述べる鈴田さん |
10月25日、染色家鈴田滋人さんの重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定を記念して、標記特別展が始まりました。これに先立って、市役所前駐車場では鈴田さんや市長らの手でベニバナトチノキの記念植樹がありました。鈴田さんは、オープニングセレモニーのなかで「鹿島の豊かな自然の中でものづくりができることに感謝している」とあいさつ、鈴田さんによる展示品解説もありました。この特別展は市主催で、12月7日まで鹿島市生涯学習センター(エイブル)において着物や帯、貴重な資料など約40点を展示し、好評のうちに終了しました。
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| ベニバナトチノキを記念植樹 | 開場式で主催者あいさつをする市長 | |
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| 開場式後、展示品説明をする鈴田さん | 展示品(着物) | |
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| 展示資料(一例) | 鈴田さんデザインのオブジェ(エイブル) |
文化審議会は7月18日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に木版摺更紗(もくはんずりさらさ)制作者の鈴田滋人さん(市内能古見)ら6人を認定するよう文部科学相に答申しました。
鈴田さんの認定は、鹿島市では初、染色部門においては佐賀県初となるとともに全国で最も若い人間国宝となります。
鈴田さんは木版摺更紗の研究・錬磨を重ねて、独自の作風を確立されました。その確かな技術と豊かな感性、優れた構成力により木版摺更紗特有の清新な構成的幾何学文様が創り出され、その作品は高い評価を受けています。
[追記]鈴田滋人さんは9月11日に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
【人間国宝 鈴田滋人】
昭和29年、佐賀県鹿島市生まれ。昭和54年武蔵野美術大学日本画学科卒業。昭和56年から、木版と型紙を併用する「鍋島更紗」の制作技法の研究と復興に力を注いだ父・鈴田照次の後を受け、木版摺更紗の研究・錬磨を重ねてその技法を高度に体得し、独自の作風を確立した。
小さな型の繰り返しによるその連続・集積の仕方、さらに独特の色遣いにより、同人の木版摺更紗特有の清新な構成的幾何学文様が創り出される。その確かな技術と豊かな感性、優れた構成力による現代感覚溢れる作品は、高い評価を得ている。
日本伝統工芸展を中心に作品を発表し、平成8年の第43回日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞、同10年の第45回展ではNHK会長賞(優秀賞)を受賞している。さらに、平成10年に第11回MOA岡田茂吉賞工芸部門優秀賞を受け、同15年には第23回伝統文化ポーラ賞優秀賞を受賞した。
また、平成11年の第46回日本伝統工芸展等で鑑査委員を務めるなど、後進の指導・育成にも尽力している。
【略歴】
昭和54年 武蔵野美術大学日本画学科卒業
同 57年 第29回日本伝統工芸展初入選
同 60年 社団法人日本工芸会正会員(現在に至る)
同 63年 第25回日本伝統工芸染織展文化庁長官賞 作品「花合歓」
平成 4年 第29回日本伝統工芸染織展文化庁長官賞 作品「早春の花茎」
同 6年 「現代の型染 ― くりかえすパターン ―」展(東京国立近代美術館主催)招待作品
同 8年 第43回日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞 作品「樹閑」
同 10年 第11回MOA岡田茂吉賞工芸部門優秀賞
同 年 第45回日本伝統工芸展NHK会長賞(優秀賞) 作品「漿果文」
同 11年 第46回日本伝統工芸展鑑査委員(以後計4回歴任)
同 15年 第23回伝統文化ポーラ賞優秀賞
同 16年 社団法人日本工芸会理事(現在に至る)
同 19年 「わざの美伝統工芸の50年」展(大英博物館他主催)招待出品
同 20年 現役最年少(54歳)で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
【父・鈴田照次】
鈴田滋人の父。染色を中心に、佐賀県の工芸界の牽引役として活躍した人である。型絵染の作品で頭角を現し、鍋島更紗との出会いにより、後年はこの謎に包まれた鍋島更紗の研究と復元に力を注いだ。昭和30年代に更紗の源流を求めて、東南アジア諸国をまわって研究を重ねた結果、木版と型紙を併用する技法を解明した。
この鍋島更紗の技法に基づいて、昭和47年に「木版摺更紗」を発表した。昭和52年に芸術選奨文部大臣賞を受賞、昭和53年に紫綬褒章を受けている。
(大正5年〜昭和56年 64才)
「更紗」とは、室町時代後期から江戸時代初期、南蛮貿易などによってインドやジャワなどから舶載された、異国情緒溢れる文様の染め布である。この影響を受けて我が国で制作されたものが「和更紗」である。
その中でも、独自の技法と様式で位置づけられる「鍋島更紗」は、佐賀鍋島藩の保護のもとで制作され、その製品は献上品として使われた格調高いものであった。しかし、明治の廃藩置県の後、継承者が途絶えたことで、大正初めにはいったん姿を消してしまった。
幸いにして、鍋島更紗の『秘伝書』や『見本』など、わずかではあるが貴重な資料が残されていた。故・鈴田照次は、それらをもとに技法の解明と復元に長年力を注ぎ、その成果を「木版摺更紗」として発表し、鍋島更紗の独自の技法を今日に甦らせた。
和更紗の技法は、大きく分類すると、手描きによるものと型紙を用いるものとがある。木版摺更紗と名づけられたこの技法は、文様の輪郭線等を木版(地型)による摺りで行うとともに、その木版に合わせて彫った型紙を用いて染料や顔料を刷毛摺し、さらに木版(上型)で線描き等を摺り出すという、木版摺と型紙摺を併用する独特のものである。
今日の木版摺更紗は、伝統的な技法を基にしながら、文様やその構成、色調等に創意工夫が加えられ、高度な芸術的表現を可能にする染色技法として高く評価される。
謎に包まれた「鍋島更紗」についてわずかに記されているのが、『鍋島更紗秘伝書』と『鍋島更紗見本』(共に県指定重要文化財)である。秘伝書によれば、鍋島更紗は豊臣秀吉による朝鮮出兵の折、鍋島直茂が連れ帰った工人の一人である九山道清の創始によるもので、半兵衛更紗とも呼ばれたことなどが記されている。技法についても、肝心な部分は「この打ち出し方は他に比類なき秘法につき口伝に譲る」とされ、資料だけではその奥義を解き明かすことはできない。
木版摺更紗のデザインは、繰り返し文様による効果をねらったものが多く、着物の場合は一色につき1,000〜2,000回ぐらい繰り返す。色数が増すと、その回数が増えていくため、根気のいる手作業である。作品は、着物を中心に制作される。
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1)スケッチ
草花や木々を題材にスケッチを行なう。
2)デザイン
スケッチからイメージを抽象化・文様化して単位となるデザインをおこし、それから全体を構成し下図を作成する。
3)木版作成
蝦夷黄楊などの木に彫刻して、線を主体とした木版を作成する。通常、2種類の地型とそれに対応した2種の上型を作る。
4)型紙作成
色摺り用の型紙を彫る。木版の大きさを単位とし、色ごとに文様を分解して彫る。
5)生地張り・寸法書き・印付け
版打ち用の台に生地を張り、仕上がりを想定し割り付け寸法を書く。また文様割付のため印を付ける。
6)地型版打ち
文様の輪郭となる地型の木版に墨を付け、文様割付の印にあわせ版打ちする。
7)色摺り
型紙は一模様、一色が一枚。薄い色から順に、色の数だけ刷毛で刷り込んでいく。
8)上型版打ち
通常、色摺りの後に版打ちを行う。地型と異なり墨ではなく紅柄を使う。
9)糊入れ
地染めを行う場合、糊入れ用型紙で、白抜きの余白部分や文様部分にあらかじめ糊入れを行う。
10)地染め
生地全体を地染めする。
11)蒸し・洗浄
地染めの定着のために蒸し、水洗いをして糊を落とす。
12)乾燥・仕上げ
水気を取って張木に張って乾かす。仕上げにアイロンをかける。
13)仕立て・完成
製品の形に仕立てをして完成。

染色工芸家である鈴田照次が収集した伝統的な染織品を収蔵している。特に、後年鍋島更紗の解明と復元を行なうにあたって、日本・インド・東南アジア等から収集した更紗に関する資料や、照次による「木版摺更紗」などの作品が展示されている。
〔見学申込〕
のごみ人形工房 電話0954−63−4085まで
